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近居のススメ|父が手にした「最高の人生」

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どうも、ぷらてんです。

 

今年からフリーランスになったことで、人生の舵がおおきくきられました。

2019年が自分史上もっとも濃い一年になることは、まちがいありません。

 

新年早々、子どもを失ったショックは消えませんが、家族をやしなっていくためにもがんばりたいと思います!

 

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さて、今回は「最高の人生」について考えてみました。

 

このテーマは、ひとによって最も価値観がことなる部分ではないでしょうか?

 

私なりにももちろん、えがいている「最高の人生」というものがあり、それは父が歩んできた道そのものでもあります。

 

子どもがいる前提の話になってきますが、ぜひ参考になれば幸いです。

 

 

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父が手にした「最高の人生」

父は関西出身の人間でしたが、社長令嬢だった母のもとに婿入りしました。

 

期待を胸にきたものの、会社が今にもつぶれそうな経営状態だとしったときは「ダマされた!」と思ったそうです。

 

それが今では地元で有数の優良企業にまで成長。

父の功績はだれもが認めるものであり、市の功労者として表彰もされました。

 

 

そんな父が手にした「最高の人生」は、会社経営者として経済的に豊かになり、好きなものを買え、好きなところに行ける人生ではありません。

 

かわいい孫たちにかこまれ、好きなときにいつでも会える人生だったのです。

 

近居という考え方

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なぜ、かわいい孫たちにいつでも会えるのかというと、私を含め3兄弟が全員地元にのこっているからです。

 

長男と次男は父の会社に勤めていて、私は去年まで地元でサラリーマン。

そして、今年からフリーランスとして活動しています。

 

だれも同居はしていませんがいつでも会える距離にいて、実際に週末になると実家に集まっているので、最低でも週1回は孫に会っているのです。

 

これを近居と言います。

 

  • 祖父母はいつでも孫に会える
  • 私たちのような子育て家族は、いつでも親にたよれる
  • できれば同居はさけたい

 

こういった相互メリットがあるため、同居や別居にくらべてとても人気が高い暮らし方と言われています。

 

いつでも孫に会える 

お盆や正月の帰省ラッシュを見ていて思うのですが、たとえばもし私が東京に勤めていたら、父に孫を会わせる機会は年に2回ほどしかなかったのでしょう。

 

今70歳の父が90歳まで生きたとしても、あと40回しか会えません。

もし私が遠くはなれたところへ婿に行っていたら、さらに会う回数は減ります。

 

実際、私は父の実家に数えるほどしか行ったことがありません。

しかも、たまに会ったところで祖父母に何を話したら良いのかわからないのです。

 

小学校の話をしたって、むこうに前情報がなさすぎて「そうか、そうか」と言われておしまいでした。

 

それにくらべ、今の父のペースでいけば20年で1042回以上は孫に会える計算になります。

成長を近くで見ることができ、イベントごとにだって参加できるのです。

 

 

子どもの成長を見れることは親の醍醐味です。

それが孫の分まで楽しめるというのは、とても幸せなことだと思います。

 

いつでも親にたよれる

先日お腹の子どもがなくなったときも、両方の両親にとてもお世話になりました。

深夜のできごとだったので、幼稚園にあずけることもできませんでしたしね。

 

特に子どもが小さいうちは、両親が近くにいるだけで子育てのハードルがぐんと下がります。

 

「ワンオペ育児」という言葉は、私たちには存在しません。

 

週末になると実家に行くのは、育児や家事からの開放という意味もあります。

両親にとっては、かわいい孫に会えるのでWin-Winの関係です。

 

毎週土曜日は妻の実家、日曜日は私の実家に遊びに行くので、週末は多くの大人が子どものめんどうを見てくれていて、とても助かっています。

 

すぐに親にたよれる距離に住んでいることで、育児ストレスをためこむことなく、毎日笑顔で子どもに接することができるのです。

 

同居のデメリットとメリット

生活リズムのちがい、プライバシーや嫁姑問題など、親との同居のデメリットは想像に難くないでしょう。

一方で、ちゃんとメリットもあります。

 

私たち側のメリットは

  • 子どものめんどうを見てもらえる
  • 家事が分担できる
  • 住まいにかかる経費を按分できる

 

親側のメリットは

  • 孫の顔が毎日見られる
  • 家事が分担できる
  • 住まいにかかる経費を按分できる
  • 老後の世話(介護含む)をお願いしてもらえる 

 

といったことがあげられます。

 

同居のデメリットを承知(もしくはガマン)してでも、これらのメリットを得たい場合は、考えても良いでしょう。

 

我が家の場合、近くに住んでいることで十分に子どものめんどうは見てもらえていますし、経済的不安も少ないです。

さらに、両親は子どもに介護されることを望んでいないので、同居という選択肢はありませんでした。

 

近居が犯罪をへらす

高齢者の万引きなどの軽犯罪が増えていますが、その理由のひとつに「さみしかったから」というものがあります。

 

犯罪をゆるすことはできませんが、仕事をリタイヤし、特に趣味もなく、身内も近くにいない状態を想像すると、精神的におかしくなってしまう気持ちもわからなくはないです…。

 

子どもが親のそばに住むことで、こういった犯罪の抑制にも一役買うことでしょう。

 

「孤独死」という、これ以上ないさみしい人生の結末をむかえるひとだって絶対にへるはずです。 

 

日本人的幸せ

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しかし、この「子どもを近くにおいておきたい」という考え方は、日本人的な価値観だということに気づかされるできごとがありました。

 

それは、日本で暮らすカナダ人の友だちと話していたときのこと。

 

彼が将来的にはニュージーランドに住みたいと言うので、長男だと知っていた私は「親のめんどうをみなくても大丈夫なの?」と聞きました。

すると、こう答えたのです。

 

「カナダ人は子どもが親のめんどうを見るということはしないよ。親は親の人生があって、子どもには子どもの人生があるからね。

親は施設に入るか、アパート暮らしをしながら世話をしてくれる人を雇うんだよ。でも僕たちは両親のことを心から愛しているよ。」

 

これを聞いたとき、最初は(そんなの、さみしいじゃん!)と思ったのですが、私なりにこの価値観のちがいについて考えてみました。

 

欧米系のひとたちは、普段から家族に対してストレートに愛情表現をする文化があります。ハグをしたりキスをしたり、もちろん言葉でも。

 

それにくらべ、日本人で両親に「愛してるよ」と言えるひとは、あまりいませんよね。

 

心の絆とでも言うのでしょうか。

小さいころから愛情を十分に確かめあっているからこそ、遠くはなれていてもつながっていられる信頼関係が日本人よりも強いことが、彼の話す目をからは伝わってきました。

 

日本人はそういう直接的な愛情表現が苦手なので、そばに置いておくことで安心するというか、めんどうをみてもらうことで物理的に安心したいと考えるではないでしょうか。

 

 

本当に子のことを思えば「子には子の人生がある」と考えてあげられる方が、確かに愛があるように思えてきます。

 

彼との話は、そうした気づきをあたえてくれるものでした。

 

父が「最高の人生」を手にできた理由

父が「最高の人生」を手にできた理由は、愛情と経済力があったからだと思っています。

 

ふかい愛情

まず、父が私たちに対し十分に愛情を注いでこなかったら、むしろ憎まれるような親だったら、だれもめんどうを見ようとは思わなかったでしょう。

 

関東の大学に進学した長男と私は、そのまま帰ってこなかったかもしれませんし、たとえ近くに住んでいたとしても、週一で集まることはなかったはず。

 

3人兄弟全員が地元にのこり毎週末集まっているのは、みんなが父のことを尊敬し好きだからであり、できるかぎり孫の顔を見せてあげたい(父をよろこばせたい)と思っているからです。

 

不自由しない経済力

また、どう冷静に分析しても、父に経済力があったからこそ、ここまで家族の絆をふかめることができたと思っています。

 

たとえば毎年恒例のこちらの年越旅行、これは全額父が負担しています。

 

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こちらも全額ではありませんが、100万円ポンと出してくれました。

 

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もし、こういった旅行がそれぞれ自己負担だったら「うちはちょっと金額的にきびしいからあきらめるよ」という家庭がでてきて、全員で思い出をつくれなかったかもしれません。

 

 

「大人なのに親からお金を出してもらってはずかしい!」

と感じるひともいるでしょう。

 

それこそ価値観のちがいです。

 

外食のときもそうですが、父と同一行動するときに、私たちがお金を出すことはほぼありません。(両親の記念日をのぞいては)

 

私たちの価値観では、それが当たり前だと思っていますし、それを当たり前にできる父をカッコいいと思っています。

むしろ割り勘で子どもから小銭を請求するなんて情けないこと、したくありません!

 

 

奨学金についてもそうです。

 

高校、大学時代に奨学金を借りていたひとは大勢います。

 

しかし、私は一切借りてきませんでした。

むしろ前後期で2回の分納になっている大学の学費を、父は一括で払っていました。

 

妻は「娘には奨学金を借りさせる」と言います。

「何で?」と聞くと「自分が行きたくて進学するんだから、借りるのは当たり前でしょ」と。

 

おそらくこれが奨学金を借りてきた家庭の一般的な価値観です。

 

しかし、私の価値観では「親なんだから全額出してあげるのが当然だ」と思っています。

 

 

極端な話、自分の子どもがとても優秀に育ち、高い目的意識をもってある日「医者になりたい!」と言ってきたらどうしますか?

 

本来であれば、手塩にかけて育ててきた我が子が立派に成長したことを、親として心からよろこぶべきでしょう。

 

それなのに、「うちにはそんなお金ないからあきらめなさい!」とは、私は言いたくありません。

自分に経済力がないせいで、子どもの可能性を詰むようなことはあってはいけないと思っています。(医大の学費にはビビりますよ!あくまで極端な例ですから)

 

 

習い事だってそうですよね。

私たち3兄弟はお金がかかるスポーツを小さいころからやっていましたが、ずっと続けてこられたのも、父に経済力があったからです。

 

「そんなお金のかかるスポーツ、うちではできないよ!」と言われていたら、全国大会優勝という経験を味わうこともできませんでしたし、兄弟の絆もここまでふかくなっていなかったでしょう。

 

 

はずかしい話、仕事がない青森県の田舎に兄弟3人が就職できたのも、父の影響力のお陰であることは否定できません…。

 

私が「最高の人生」を手にするために

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「最高の人生」の価値観はひとそれぞれですが、私もできることなら、父と同じような道を歩みたいです。

 

ただでさえかわいい娘が産んだ子どもなんて、想像しただけでもうれしですし、近くで成長を見ることができたら、この上ない幸せでしょう。

 

必要なのは、愛情と経済力。

愛情は今でもたっぷり注いでいますから、問題は経済力です。

 

兄2人が父の会社に入っていて、三男の私には何もありません。

 

今は経済的な差をつけられていますが、フリーランスになったこれからが勝負です。

 

子どものやりたいことを経済的に支援できる父親になってみせます!

 

 

 

ちなみに、 なんだかんだ娘は嫁いで遠くにいってしまうと思っています。

そうなったら、私が娘のもとに近居するかもしれません。

フリーランスは働く場所をえらびませんからね!笑

 


今日も世界中で幸せな出来事が起きますように。