どうも、ぷらてんです。
私は昭和の時代が好きです。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』やドラマ『ひよっこ』の時代が好きです。
現代と比較すると、スマートフォンもない、東北新幹線も開通していない、お店も24時間営業が少なく、きっとタイムスリップしたら不便を感じることでしょう。
しかし、当時はそれが当たり前でしたので、不便とは思っていなかったはずです。
逆に考えると、「便利が生まれる期待感」に包まれていたとも言えます。
私は昭和を5年間しか生きていないので、当時の雰囲気はほぼイメージでしかありませんが、東京オリンピック開催を景気に日本は高度経済成長に突入し、とにかく勢いがありました。
現代においても、たびたびニュースでは「戦後最大」や「いざなぎ景気を超える」好景気だと報道されてはいますが、実感に乏しく、昭和のバブルよりも盛りあがりにかけています。
それはきっと、現代の日本が「人口減少」という大きな悩みを抱えていることが、最大の要因だと私は思っています。
特に労働人口の減少は経済の衰退をまねきます。
「今は良くてもお先真っ暗」では、活力が生まれず消費が落ち込み、負のスパイラルに陥ります。
一方で、昭和のバブルは戦後のベビーブームの影響で労働人口が急激に増えたため、経済の発展への期待が持てました。
「日本の未来は明るい」と、働きざかりの若者たちが活き活きと働いていたに違いありません。少なくともこの時代の映画やドラマからは、そのような印象を受けます。
このあたりが内閣府が発表する景気動向指数には表れてこないから、数字で景気がよいと示されても実感がわかないのでしょう。
むしろ、私は数字上の景気の良い社会よりも、一般人レベルでは活力のある社会の方がよっぽど明るく幸せに暮らせると思っています。
今回は、「人口減少社会」においても、活力を失わず前向きに生き抜くヒントを田舎から学びたいと思います。
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数字で見る人口減少の未来
国土交通省が2011年に発表したこのデータは、日本に衝撃を与えました。
「国土の長期展望」と題された資料のこちらのデータによると、2050年には日本の人口が今(2018年7月1日現在:12,659万人)より約3,000万人も減少し9,515万人になるそうです。
3,000万人というと、今の東京、埼玉、神奈川の3つを合わせた人口とほぼ同じ数です。
もしくは、北海道全部と東北全部と九州全部を合わせた人口よりも多いと言えば、日本の人口減少のスケールが分かってもらえると思います。
ちなみに、下記記事によると、内閣府の2014年にかかげた目標値は、50年後(2064年)に人口1億人だそうです。
この数字が達成できれば、人口構造が安定し、さまざまな課題が解決しやすくなるそうなのですが、先ほどの国土交通省の予測どおりでは厳しいです。
この目標値を達成するには、こうも書いてあります。
現在と50年後の中間点くらいまでに、もし希望通りに9割の若者が結婚して2人超の子どもを産み育てる状況が実現したとすれば、人口減少のスピードは大きく緩和され、50年後の人口は1億人程度となり、その後人口の減少は収まると推計される。
「9割の若者が結婚して、かつ2人以上の子どもを産む」。こんな無理難題をクリアしないと安定的な人口構造は見込めないということです。
さらに悲しい現実として、2017年度に国内で生まれた日本人の子どもの数は統計史上最少です。
これらの数字を見ているとわかるように、私はおろか娘が生きているうちは、きっと日本の人口減少問題は解決することはないでしょう。
人口減少による社会の変化
戦後のベビーブームに生まれた団塊の世代が今70歳前後です。
私の父がど真ん中の70歳で、4人兄弟でした。
そこから出生数は減少しましたが、再び出生数が増加した時代があります。それが団塊ジュニア世代です。名前のとおり、団塊の世代が産んだ子どもたちの世代です。
上の画像は、文部科学省の18歳人口の推移のデータです。小さくて細かい部分は見えなくても、なんとなくイメージが伝わってもらえればOKです。
棒グラフがその年の18歳人口を示していて、一番ピークの赤い丸が団塊の世代(249万人)です。
そして次のピークが緑の丸の団塊ジュニア(205万人)です。
こうして見ると、団塊ジュニアからずっと18歳人口が減少していることが分かります。
一番右が平成52年を示しているので、予測も一部含まれていますが、むしろ現実はこの予測より悪いです。
なぜなら、先ほどのデータで2017年(平成29年)生まれの0歳児が94万人でしたが、このグラフでは去年生まれた子どもが18歳になる平成47年に、18歳人口が98万人になると予測しています。
この時点でも既に4万人の乖離が生じているのですが、現実的に考えると、不運にも18歳まで生きられない子どももいるでしょうから、平成47年の18歳人口が94万人を下回ることは間違いないです。
人口が減少することで、すでに社会に変化が表れはじめています。
たとえば、レストランやコンビニでは24時間営業をやめるところがでてきています。
コンビニの定員は、人材不足で外国人留学生に頼るところが増えてきています。
人材の獲得競争が激化し、良い人材をいち早く獲得するため大手企業も高卒求人に力を入れています。
賃金が安いと人材が集まらないので、賃金も上昇しています(これが数値上、好景気に見せているのかも)。
例えば、全国ワーストクラスの私の住んでいる青森県の最低賃金は、平成29年で時給738円ですが、10年前の平成19年は619円でした。
私の予想では、今後ますます人材の獲得が難しくなり、優秀な人材には1年目だろうと高い賃金を提示するようになると思います。
新卒一括採用なんて、足並みを揃えた仲良しこよしの採用システムは淘汰され、良い人材は学歴に関係なくすぐにでもヘッドハンティングされる時代が来ます。
顧客(人口)が減り収入が減る一方で、賃金は上げないと人材が集まらないという悩みを、日本全国の企業が抱えることになるでしょう。
そのため、昭和式の年功序列、エスカレーター式の給与体系では経営が困難になり、実力評価主義の企業が一般的になります。
昭和式の雇用制度は、社員の将来が保証されていたので、日本ではひとつの企業に一生勤めることが当たり前であり、最も安全であると考えられてきました。
ところが実力評価主義になると、実力がない社員の将来は保証されません。むしろ、会社自体の将来でさえまったく保証されない時代になります。
そうなると、より自分にあった、条件のよい企業への転職が当たり前になります。
実力がない社員は、どこにいっても給与は上がらないため、賃金の安い複数の会社をかけもちするようになります。
すでにその動きが出始めていますが、会社が副業を認める時代になります。社員の将来を保証できないのですから、当然の流れです。
こうして色々と予測していくと、アメリカ式の雇用形態にどんどん近づいていきます。
アメリカは人口が減少していないにも関わらず、こういった合理的な雇用形態をとることで、経済力を高めていったのですから、学べるところは多いです。
さらに今後は、世界的に「ひとの仕事を機械が奪う時代」が来ます。
代表的な例が銀行です。
セブン銀行の成功例を見ていると、地価の高い一等地に、多くの人員を割いて支店を設ける古くからの銀行の形態が、いかに非効率かが分かります。
自動車の自動運転技術も、安全性能が向上し法整備が進めば、あっという間に普及し、大量のドライバーの職を奪うことでしょう。
個人宅までは難しいにしても、高速道路を利用した夜間の長距離運転に限定すれば、自動運転での物流システムの確立は、そう難しくはないと思います。
「ひとの仕事を機械が奪う」と言えば聞こえが悪いですが、人口減少社会の日本にとっては、貴重な労働人員をその分野に割かなくてもよくなるので、プラスに受け入れることができます。
このような時代の変化は、団塊ジュニア世代が退職するころになると、もっと急速に表れるでしょう。
あと20年ほど先の未来ですね。
鍵をかけない田舎に学ぶ
労働人口が減少すると、世の中はとても不便になります。
お店も病院も学校も、どんどんと閉鎖されていきます。
さきほど話した24時間営業の店も減っていくでしょうし、ネット通販が注文した翌日に届くことはないでしょう。
しかし、それは便利を経験しているから不便と感じるのです。
最初の話に戻りますが、昭和を生きるひとたちは、今考えると不便と思える世の中でも、活力をもって明るく幸せに暮らしてきました。
これまでデータで示してきたとおり、私たちが生きている間に人口減少が解決することは期待できません。
しかし悲観することはありません。人口減少社会を前向きに生きぬく方法はあります。
それは、不便を受け入れるということです。
現実を逃避し、便利を求めて都心に一極集中する必要なんてありません。
なぜなら、私たちは既に不便を受け入れて幸せに暮らしている田舎のひとたちから学べることがたくさんあるからです。
妻の実家は、町民が1万人を下回る田舎町です。
私が通った大学の、当時の新入生の数が約6千人でしたから、1つの大学の2学年分で町民数を上回ってしまいます。
町にコンビニは1つしかありませんが、だれも不便だとは言いません。
それが当たり前だと思っているからです。
たまにイオンに買い物に行くときは、車で50分もかかるので、親戚や近所のひとを連れて車で行っています。それも不便だとは思わず、むしろ楽しんでいます。
現代の人たちは、物があふれていることに慣れすぎてしまっています。サービスが良いことが当たり前だと思ってしまっています。
しかし、実はそこまで物がなくても、サービスが良くなくても、満足することは可能なのです。
これは、以前書いたお金持ちは幸福とは限らない、という記事に似ていると思います。
あればあった分、もっと欲しくなるものです。しかし、近い将来、そういった物やサービスの良さが十分に提供されない未来が待っていますので、不便な世の中に慣れていくことも必要だと思います。
もちろん、田舎のひとたちでも、不便で困ることは多くあります。
その不便を、助け合いで補っているのです。
例えば、妻の実家には玄関にインターホンがありません。
それどころか、驚くことに玄関に鍵すらありません。
今はリフォームで玄関に鍵がつきましたが、鍵はいつも開いています。
車のドアも常に鍵が開いています。
一般的な感覚では、鍵をかけないと防犯上心配ですが、この小さな町で悪さをしようものなら、またたくまにそのウワサが広まります。
実際、妻の実家は物が盗まれるどころか、不在時でも勝手に近所のひとが玄関を開けて、家で獲れた野菜や果物を置いていくので、むしろ物が増えていきます。
東日本大震災でスーパーマーケットの機能が停止したときも、近所同士食べ物をゆずり合ったので、まったく困らなかったそうです。
近所で火事が発生したときは、消防士よりも先に地域住民による消防団が集まって火を消しはじめました。
ドライブ中、歩道を歩いているおばあちゃんがいたので「あのおばあちゃんも知り合いなんでしょ?」と冗談で妻に聞いたら、「同級生のおばあちゃんだよ」と即答でした。
あまりにもひととのつながりが深いので、この町にいると、まるで町民全員が大きな家族のように見えてきます。
失礼な言い方かもしれませんが、私はこの昭和の雰囲気ただよう町が好きです。
この町に生まれた妻がうらやましいとすら思います。
便利な都心ぐらしはさまざまな欲を満たしてくれますが、ひとの多さに疲れ、家のみならず心にも鍵をかけて暮らす日々は、どこか寂しさを覚えます。
不便だからこそ、家に鍵をかけずにひとびとと心を通わせる田舎ぐらしは、人口減少社会を前向きに生き抜くモデルケースとなり得るのではないでしょうか。
今ではインターネットの普及で、買い物も近くに店がなくてもできますし、仕事だってPCひとつあればできるものもあります。
昔に比べて田舎ぐらしのハードルは下がってきています。
日本が本当に不便になる前に、田舎ぐらし、オススメです。
ちなみに現在3歳の娘は、なじみに銭湯に行くと必ずトイレの鍵を自分でかけて用を足します。
こっちはちゃんとできてるか心配なのでかけないでほしいのですが、本人なりに家とは違う雰囲気に警戒をしているのでしょうかね。
今日も世界中で幸せな出来事が起きますように。