どうも、ぷらてんです。
突然ですが、みなさんは、お金持ちになりたいと思いますか?
私はお金持ちになりたいです。
なぜなら、「お金がないから」という理由でできないことが、お金ががあるだけでできるようになるからです。
自分自身のことなら我慢できますが、娘のことで「意味のあるお金の使い方」を我慢させたくありません。
わかりやすい例でいうと、高校生になった娘が「○○大学に行きたい」と進路について相談をしてきたときに、「○○大学は私立でお金がかかるからダメ」とは言いたくありません。
○○大学に行きたい理由が、「仲の良い友だちが行くから」というのであれば「ダメ」と言いますが、それはお金が理由ではありません。
○○大学のカリキュラムや特定の研究内容に興味があり、そこに行くことが自分の進学先としてはベストであると娘が導き出したのであれば、「お金がかかるからダメ」とは言いたくありません。それは、娘の可能性を潰すことにつながるからです。
また、私ぷらてんはプラス思考の塊なので向上心が強いです。
お金持ちになることは、自分自身の努力や成長の証でもあるので、常に今よりお金持ちになることを目指していきたいと考えています。
そういう意味でも、私はお金持ちになりたいです。
お金持ち=エラい?
以前、職場の先輩が「奥さんの方が自分より稼いでいるからイヤミを言われる」と話していたことがありました。
しかし、決してその先輩が仕事ができなくて給料が低いわけではありません。
奥さんが看護師で、それ以上に給料をもらっているだけの話です。
もし私が妻に同様のことを言われたら、「じゃあ、1回金塊を密輸するだけで100万円をもらえるおいしい仕事があるから、今の仕事やめても良いんだよね?」と言い返すでしょう。
給料とは、その企業の稼ぎによって左右され、企業の稼ぎは需要によって左右されるところが大きいです。
「いや、私は学生時代に猛勉強して国家資格を取得して、その結果として高い給料の仕事に就いているんだから、私の方がスゴいんだよ!」という気持ちも、心のどこかにあるのかもしれません。
それはもちろん立派なことですが、どんな仕事であろうと、ひとの役に立つために誇りを持って行っていれば、給料の差によって優越を感じることはおかしいと思います。
働く理由はお金ではない、ということは下記記事でも紹介しています。
このことが理解できれば、経済状況をひとと比較する無意味さが分かると思います。
「給料が高いからエラいんだ」と言って自分にしかお金を使わないお金持ちよりは、猛暑の被災地で無償の復興ボランティアに参加しているひとの方が、よっぽど崇高でエラいと私は思います。
お金持ち=幸せ?
下の記事で、「給料が低いから不幸」みたいなことを例としてあげましたが、実は私自身はまったくそうは思っていません。
お金持ちのひとを幸せそうだとか、うらやましいと思う感情は、隣の芝は青いということわざで表現することができます。
では実際、お金持ちで幸せそうに見えているひとは、本当に幸せなのでしょうか。
幸せを感じるレベルというのは、ひとによって違います。
特にお金で手に入る幸せは、お金を持てば持つほどそれに比例して、幸せと感じるレベルも高まります。
同じ会社で働くAさんとBさんで説明してみましょう。
Aさんは年収400万円の会社員です。Aさんは普段乗っている軽自動車では満足できず車を変えたいと思っています。そこで、毎月コツコツお金を貯め、ようやくローンで念願のアルファードを購入し、とても満足しています。
Bさんは年収800万円の会社役員です。Bさんは普段乗っているアルファードでは満足できず車を変えたいと思っています。そこで、毎月コツコツお金を貯め、ようやくローンで念願のレクサスを購入し、とても満足しています。
いかがでしょうか。
きっと、Aさんはいつもアルファードを乗り回しているBさんを見て、「いいな。うらやましいな。アルファードに乗れたら幸せだろうな。」と思っていたことでしょう。
しかし、実際にアルファードに乗っているBさんは、アルファードを手にしている現状に満足していません。
この違いというのは、AさんとBさんの所得格差、金銭感覚の違いから来るものであり、BさんはAさんから見てお金持ちだから幸せそうに映る(隣の芝が青く見える)のですが、Bさんからすると、もっとお金持ちのCさんを同様にうらやましく思っているのかもしれません。
結局、どんなにお金を手にしても、自分より上のひとと比較している限り、うらやましく思ったり、幸せそうに映り続け、今の自分に幸福を見出すことができません。
つまり、お金持ちは幸せだと思っていて、いつまでも目の前の幸せに気づけないひとは、結局お金を持っても幸せにはなれないのです。
今の自分=だれかが求める幸せ
まずは、今の自分の日常に幸せを感じましょう。
何も特別なことがない、たいくつな日常だとしても、その平穏無事な日常すら手にすることができないひとにとっては、十分すぎるほどうらやましく、幸せに映っているはずです。
そもそも、生きていること自体が、もっと生きたかっただれかにとっては、求めつづけた幸せなのです。
今の日常に幸せを感じるためにも、当たり前のことに感謝をするようにしましょう。
私は、毎日妻に感謝の言葉を伝え、妻からも言われ、毎日幸せを感じています。
娘にも「生まれてきてくれてありがとう」と感謝を伝えます。
これが、当たり前だと思ってしまうと、途端に幸福度が低下することを分かっているからです。
ちなみに現在3歳の娘がまだ2歳のころ、ご飯を食べ終わってすぐに「ごちそうさま」も言わずに席をたとうとしたので、「ママになんて言うの?」って聞いたら、「ママ、いつもありがとう」って言いました。
いつも私が妻に言っている言葉を聞いて覚えていたのだと、本当にびっくりしました。そして、妻は驚きと感動で泣いていました。
今日も世界中で幸せな出来事が起きますように。